プロジェクトX――安全な医療の第一歩への挑戦
CVライセンスセンター事始物語
東京医科大学茨城医療センター 脳神経外科 三木 保
「東京医大病院 細管誤挿入で脳死状態50代主婦 胸腔に点滴液たまる」平成15年11月11日の産経新聞の社会面のトップ記事は東京医大病院の全職員を震撼させた。またこれが一連のマスコミの東京医大批判の始まりで、心臓外科の手術の問題から主任教授辞任、特定機能病院指定取り消しへのプロローグになろうとは誰も想像はできなかった。
CVライン(中心静脈静脈路確保)は周知のごとく今日日常臨床において必須の医療手段である。またその簡便さ、有用性により多くの医師によって頻用される手技となっている。東京医科大学病院のような1000床程度の大規模病院では年間約3000件程度のCVライン設置が行われているとされている。 しかしその合併症には極めて稀であるが重要臓器損傷による死亡例が報告されているのも事実である。東京医科大学病院では平成15年から16年にかけての約半年の短期間に前述の例を含め2例のCVライン設置に伴う極めて重篤な致死的合併症例を経験した。1例は完全復帰まで救命し得たが、1例は大変残念であるが本来の治療とは別の原因で1人の命を失った。安全な医療を期待され来院された患者さんの信頼を大きく裏切る結果となってしまった。
平成16年2月10日、いつもの午前の病棟回診が終わる頃、小生の院内PHSが鳴った。院長秘書より院長室にすぐ来るようにとの指示であった。いつも柔和な院長が口を真一文字にして、CVラインの同じ事故を二度と起こさないように「安全なCVラインを検討する会」をやってくれということだった。初め「なぜ私が?」と思ったが、拒否できる様子でもなく、「頼まれる事、すなわち男子の本懐」と腹に決め、「分かりました」と即答してしまった。直ちに医師8名、看護師5名、放射線技師1名の計14名が招集された。躊躇は許されず、早期の結果が求められていた。
しかし「何をどうすれば事故は防げるのか?」暗中模索の中、まず「東京医科大学病院における中心静脈ラインに関わる事故の軽減を目的として、より安全な中心静脈ラインの確保ならびに管理のための方策を検討する」を目的に、平成16年2月から半年の間にe-mailの頻回なやり取りと計7回の長時間にわたる全体会議が行われた。
作業はまず第一段階として、(1)東京医科大学病院での中心静脈ライン確保・管理の現状の把握、(2)他施設との比較、(3)最近の中心静脈ライン確保・管理についての医学的見解、エビデンスの渉猟とまとめ、(4)当院の中心静脈ラインに関わる事故の検討と問題点の抽出を行った。
第二段階として第一段階の結果に基づき、当院におけるCVラインの事故の発生の背景について総括し、CVライン確保・管理のシステムと対応策を含むガイドラインを作製することとした。
その結果、合併症を防ぐために実現可能な案として、2つの柱が浮かび上がった。「院内すべてのCVライン設置は決められた1か所(CVラインセンター)で施行すること」、「CVライン認定医の設定と実施には必ず認定医と臨床経験3年以上の2人で施行すること」であった。「たかがCVライン設置にここまでする必要があるのか」「研修医教育はどうするのだ」とメンバーの意見は分かれた。しかし病院のおかれている状況は「再発は絶対許されない」、「再発防止に何をした」かが問われていた。熱い議論の果て、最終的にこの2つの柱を骨子とする最終答申案が全員一致でまとめられ、平成16年8月31日に院長室で院長に手渡された。院長は答申案を微動だにせずに熟読された。そして「ありがとう」と一言、小生に頭を下げられた。答申案は直ちに幹部会、理事会に報告され、原案通りに採択された。平成16年10月25日にCVライン安全部会が発足し、CVラインセンターの開設とCVライン設置ガイドラインの運用が開始された。この間僅か9か月で病院は変わった。
新しいCVライン設置の運用ガイドラインの主な骨子は次の5点である。
1)全科の緊急以外のCVライン設置はCVラインセンターで行う。
2) CVカテーテル挿入に際しては、2名以上の医師がこれを行い、この際、1名以上のCVライン認定医が術者または介助者として立ち会う。
3)手技は「安全なCVライン挿入のガイドライン」に準拠する。
特に本ガイドラインでは2つの重大事故を鑑み、以下の細則を遵守する。
①CVライン挿入にあたっては透視下、あるいはエコー下で行う。
②術直後と4~8時間後にXPの撮影を2回行い、安全を確認する。
③穿刺の回数を制限する。
4)すべての事例の実施記録表の作成を義務づけ、安全維持のためにfeed backを行う。
5)定期的CVラインに関する研修会を開催し、CVライン挿入の安全管理の意識の向上、維持に努める。さらに2年後CVライン研修制度を制定する。
以上のような世界的にみても類のないCVライン専用センターを開設し、安全を最優先にした認定医制度などのガイドラインを病院全体で運用することになった。その結果、新しいシステムの運用前後での合併症の発生率は9.1%から3.5%(最終的にすべて非有害事象例)に激減させることが可能になった。もちろん、この3.5%の値は過去の報告最低値例(6%台)と比べても極めて優れた値となっている。昨今、医師の間では完全装備されたCVラインセンターでの施行の安心感は絶大なものになっている。これらのことは当初の目的の『患者様に安全なCVライン設置』への確かな第一歩になっているものと考える。マスコミの東京医大バッシングがなければここまでの意識改革ができなかったかもしれない。しかし我々は自ら立ち上がり東京医大病院の安全な医療に向けての確実な一歩を踏み出すことができたのは確かである。そしてこのCVラインセンターの運用のコンセプトがすべての医療の安全の基本の原点となり、患者の東京医大病院への信頼回復に繋がることを願ってやまない。
「たかがCVライン、されどCVライン」
最後にプロジェクトのメンバーと職員の全員に厚く御礼を申し上げる。